「頑張らない学生指導」を頑張ろう

こんにちは、品川です。大学教員になって約3年、今の所属はボスの退官に伴い、今年度で終了になる予定なので、備忘録としてぽつぽつと反省をまとめていこうと思います。今回は大学教員としての仕事の仕方についてです。

せっかく大学教員になるのだから、学生ファーストで少しでも学生に良い経験を積んでもらって能力を伸ばして成果もたくさん出して修了してもらいたい、あわよくばD進してもらいたいという思いでここまでやってきました。結論から言うと道半ばで、ようやく大学教員の呼吸にも慣れてきたという感じですが、思ったような方向に結果は伴わなかったので大学教員の難しさを思い知りました。

機械学習ニューラルネットワークと異なり、ナマモノの人間ニューラルネットワークを相手にする仕事なので、なかなか思うようにはいかないものです。それなりに楽しい期間でしたが、全体としては反省点が多かったです。

一番の反省点は学生指導を頑張り過ぎたこと

学生ファースト(ここでは学生の能力を伸ばし、研究成果をあげて未来の選択肢を広げること)を達成することと、学生指導にどれだけ時間を使ったかは同値ではありません。直接的な指導は教員の可処分時間に制約されるので、限界もあり、あまり効率が良くないです。また、指導の分だけ学生が伸びるわけでもありません。

私が2021年4月に初めて学生を持った時の方針は、最初のうちにエフォートを割いて研究テーマを早めに決定できれば後々楽ができるという考えでいましたが、結果的に学生は私が強みを出せない領域で研究を始めてしまい、まあ学生ファーストだよなと学生の意向を汲んだ結果、班全体の歯車が狂って学生も無駄に苦難の道を歩むことになり、あとからあとからトラブルが増えてごりごり私の可処分時間が削られました。

やはり学生のテーマというのは、学生の興味関心もある程度は重要ですが、学生のレベルと研究室の事情(研究費の出せるプロジェクトに紐づけられるかどうか、指導教員が強みを出せるところか、など)を鑑みて決定すべきで、学生ファーストを達成するにはまず教員ファーストでなければならないという悲しい現実に直面しました。

実のところ、当時私は学生の研究テーマを私の意向に合わせて制約させてもらう予定だったのですが、大学教員になりたてで、初めて学生を持つということもあり、ボスの介入も受けてこの状況に持っていかれた感じです。ここでボスは私との約束を反故にしているので、今になって思うとここはボスに色々交渉する余地のある場面でしたが、博士後期課程時代の恩義もあったし、なんかあったら助けてくれるかあと少々楽観的に受け入れてしまいました(結果ひどい目にあった)

ちゃんと自分がプロとして仕事を遂行する上では譲ってはならないラインがあり、時には上司に対してNoを言わなければならないことを学んだ次第です(私は体育会系出身なのでNoを言いづらい性分、そしてボスは私が断れないマンだったのを分かってて、私はうまくしてやられた気がします。悔しみ・・・)

頑張らない学生指導をするために

単純に手を抜いただけでは、結局勝手に成長できる学生が成長できるだけで、そうでない学生を見捨てることになります。そうなっては自分が教員になった意味がありません。私が教員になったのは少子化の中にあって未だに本国における研究室教育が前時代的な放置と選別に基づいていることに少なからず憤りを覚えていて、それをどうにかできんのかという気持ちがあったからです。

ではどうすることになるかというと、上手に手を抜けばいい、つまり直接的な指導を頑張らなくても最大の教育効果を目指すことになります。

この発想で動けるようになってきたのは2023年3月くらいだと思います(それ以前は地獄を見ていて生きてるだけで手一杯でした・・・)

やってよかったこと

研究班ミーティングを二週間に一回から一ヶ月に一回に減らした

研究班ミーティングはほぼボスが教育してる感を出すためになっていて形骸化していたので、思い切って半分にしました。代わりに、個々の研究の問題解決は個別ミーティング30分/週と、日々研究室に来る学生に声をかけてこまめに解決するようにしました。(必然、研究室に来る学生の方が進捗が良い感じになりましたが、これは致し方ありません。ログインボーナスみたいなものです) 結果、学生が準備に消耗する時間が減ったので進捗ペースが良くなりました。

『卒論・修論研究の攻略本』を読む会

研究の問いの立て方や問題の絞り方にはコツがあり、経験だけでは補えないものがあります。研究のノウハウ本は学生が研究で壁にぶつかっている時に解決のための糸口にもなるので、一通り押さえていてもらいたいのですが、不思議とこういうノウハウ本は読もうという発想にならないようです。学生にとっては半強制的に読む機会があって初めて良さがわかる本というのがあるようです。残念ながら。

研究ノウハウ本の例:『卒論・修論研究の攻略本』 https://www.amazon.co.jp/dp/462794361X

あと、私は学生時から個人的に研究のためのWeb良資料をまとめています(現在もたまに更新してます)

github.com

研究に興味があれば一通り見るだろうという仮定が私の中にありましたが、こちらもやはり、自主的にこれらの資料の中から自分に合うものを探して選べる人は少ないようです。悲しい。

そこで、半強制的に読ませるために読み会を開きました。 『卒論・修論研究の攻略本』は1章が一日分となっています。一日分30~40分でひと段落ずつ音読して読みまわし、一日分を読み終わったら議論20分を行うことを5回分やれば5時間で完成です。

学生からの反応は上々でした。「もっと早く知りたかった」と・・・(これからは自主的に読むんやで・・・)

原稿テンプレートの作成

学生に一から原稿を書かせると壊滅的な文章が出てきて何から指摘して良いか頭を抱えます。ChatGPT時代にあっても論文のように論理的な文章を書くための型や作法を学んでおくのは重要です。

しかし、こういうことはいざ学会原稿を書く段階でないと身に付けようというモチベーションが湧かない問題があります。そこで試して良かったのは、学会原稿の書き方をまとめた原稿を書いたことです。実際の原稿も参考までに置いておきます。

※MIRU2023のフォーマットをお借りしてます。

www.overleaf.com

この論文書き方原稿は勢いで書いたところがあり、決して完璧なものではありませんでしたが、この論文書き方原稿を書いたことで、致命的なコストのかかる指摘や修正は避けることができました。体感だいぶ原稿を読むのが楽だったと感じます。

査読型論文読み会

普通の論文読み会と異なる読み方として、査読者の視点で読むことで論文を書く際にも査読者の視点で論文を書けるような仕掛けをつくりたいと思い、やってみた試みです。 実際のフォームのコピーも参考までに載せておきます。 ※Googleフォームの仕様で編集者ビューを見せるには編集権限を与える必要があるようで断念しました。ご了承ください。

docs.google.com

続けると効果があると思っていますが、これは一回2論文しかできませんでした。 その回は敢えて国際会議のBest paper nomineeを選びました。ツッコミを入れることで、国際会議で評価されている論文が必ずしも隙が無くて完璧というわけではないことを示すことを狙ったものですが、悪くは無かった思います。 将来的には内部査読を学生同士でできるようになってくれると嬉しいなとも思ってますが、博士後期の学生もいないと少々イマイチな感があります。研究室横断でできたら良かったのかも?

やったら良かったこと

サーベイやネタ出し、勉強会をイベント化する

学生に「お前ら助け合えよ~」と言っても自主的に助け合える学生は少ないので、そういう場合はイベントとして設定して半強制的に助け合えるようにする場を仕掛けるのが重要なようです。『卒論・修論研究の攻略本』を読む会では特に重要性を感じました。

一人でサーベイしているとどうしても甘さが出ますが、複数人で肩を組ませてスクワットさせるがごとく、短期的ゴールとして強制的に○本読むことを実行させて、定期的に一本一枚スライド2, 3分くらいで何本か紹介させると歩調を揃えつつ本数を読めるようになると思いました。研究発表では口頭にしろポスターにしろ短く要点を紹介することが求められることがありますが、これは練習しないとできないので、その発表練習にもなるはずです。

また、ネタだしも学生間で組を作り、自由に議論させて1時間後に発表させるというのを繰り返しても良かったと思います。その間教員は横で仕事をしていても良いし、議論に加わっても良いと思います。YANS2023のハッカソンやMIRU2023の若手プログラムはそんな感じで面白いアイデアが出ていたので、もっと研究室でも活かせば良かったなと思います。

修士の学生には、重要技術に馴染んでもらうというのも重要だと思いました。最近は実装が公開されていることも多いので、既存実装で良いので、自分でまず体験して遊んでもらう形の勉強会を開くと技術に対する心理障壁が下がったかなと思います。強化学習や最適輸送を使いこなして欲しい人生だった・・・

まとめ:人間もPromptingが大事

結局何が言いたいかと言うと、人間ニューラルネットワークにもPromptingが大事だってことです。ただ、指示をするだけではうまくいかないことも多いので、最初は場を設けてPromptとするのが大事なのかなと思いました。

※ただ、向かない人もいそうなので上記のような取り組みは原則希望制にした方が良いかもしれない